アルベルト・アスカリ(イタリア)
1918年 7月13日生〜1955年 5月26日没 
F1デビュー 1950年モナコGP
生涯戦績 32戦13勝
PP獲得数 14回
ファステストラップ 11回
チャンピオン獲得数 2回

過去のモータースポーツシーンに詳しいジャーナリストの見解はアスカリの父、アントニオが素晴らしいドライバーだったという点で一致している。そのアントニオがレース中の事故で帰らぬ人となったとき、アスカリはわずか6歳だった。アスカリは父アントニオを目標としながら成長していき、12歳になると彼は家族に隠れてレースをするようになった。
最初はバイクのレースで活躍し、その後4輪に転向。1940年には『エンツォ・フェラーリ』がフェラーリのドライバーとして彼を抜擢。しかし第2次世界大戦に巻き込まれ一時レース活動を中断。やがて戦争は終結し、1950年にF1ワールドチャンピオンシップが始まる。

1955年5月22日。モナコGPで、アスカリは痛恨のミスを犯し、その結果、彼の乗るマシンはコースを猛烈な勢いでスライドしながら50mも吹っ飛び、裏返しの形で海に落下したのである。同僚のドライバー達はマシンを止め、アスカリ救出に向かいはじめた。しかし次の瞬間、当のアスカリが波間からポッカリ顔を出す。そして岸に向かって泳ぎはじめたのだった。
『一応、息継ぎの仕方は知ってるからね』。海から上がったアスカリは、こう言ったという。

1955年5月26日。この日、スポーツカーのマシンテストがあるということだったが、モナコでのクラッシュの直後だったので、アスカリはテストドライブを免除されていた。しかしアスカリは自分の回復具合を確かめるために、『走らせてくれないか?絶対ゆっくり走るから』と頼む。テストに参加する予定のなかったアスカリはその日、愛用の青いヘルメットを持参していなかった。いつもの青いオープンネックのシャツも着ていなかった。そして予定外のテスト走行は始まり、走りはじめて2周目には、平均時速で175kmにまで上がる。ところがアスカリのマシンは突然バランスを崩し、コースアウト。この結果マシンは土手に乗り上げてジャンプする形になり、ものすごい勢いで地面に落下。アスカリはコクピットから放り出され、病院へ運ばれる途中で息絶えた。

アスカリは、ジンクスとして信じていた青いヘルメットと青いシャツを着用せずに、走らなくてもよいテストを行い命を落とした。
『4日前にはモナコで海に突っ込んだことで、一緒に笑い合ったばかりなのに。』と、当時レースで競い合った仲間は悲しんだ。

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