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1926年 4月 2日生〜 | |
| F1デビュー | 1955年イギリスGP | |
| 生涯戦績 | 126戦14勝 | |
| PP獲得数 | 13回 | |
| ファステストラップ | 10回 | |
| チャンピオン獲得数 | 3回 | |
多くのF1ドライバーからよく聞く子供時代の話しだが、ブラバムも少年時代、父親のトラックを無免許で乗りまわしていた。F1ドライバーを夢見る少年たちは、本物のエンジンが生み出す動力を味わうのを待ちきれないようだ。
そしてこれもお決まりの道だが、バイクのメンテナンスを自分で始め、エンジンをバラしてはまた組み立てて本体に戻すというようなことをするようになった。こうして彼は、ドライビングテクニックだけではなく、クルマやバイクのメカニズムに関する知識も蓄積していった。
話しは飛んで、1959年のこと。ブラバムはタイトルレースを激しく争い、フロリダで行われた最終戦にその決着を持ちこむ。タイトル争いは、ブラバムとモスともう1人のイギリス人ドライバー、トニー・ブルックスとの三つ巴になっていた。ブラバムはレース中にファステストラップを叩き出し(当時はファステストラップ獲得者に1Pが与えられていた)、2位に入りさえすれば、他の2人に関係なく、タイトルが確定する状況だった。しかし、ファイナルラップのフィニッシュライン800m手前で燃料切れを起こし、ブラバムのマシンは停止してしまう。そこで彼はマシンから降り、ヘルメットとゴーグルをとると、なんとマシンを自分で押しはじめたのである。観客はやんやの喝采を送るが、さすがにフィニッシュライン近くになると体力も限界に近づいたようで、どこかの国王のパレードカーのようなスピードでしか進まなくなっていく。そして感動のフィニッシュ。ブラバムはフィニッシュラインをまたいだ瞬間に地面に倒れこんでしまった。
ブラバムはかくして、徒歩でチャンピオンシップを獲得した最初の人物になったのだ。
ブラバムはこの後2回チャンピオンシップを獲得することになるが、1962年からは自らマシンを製造するようになり、1966年には自分の名を冠して『ブラバム』と名付けたマシンでタイトルを獲得する。
そんな彼も1970年に現役を引退し、チームを売り払う。その後ブラバムチームは、バーニー・エクレストンの手に渡り、エクレストンのもとで『ネルソン・ピケ』と共に黄金時代を迎え、やがて時代の流れと共に消滅した。
引退後のブラバムは、モータースポーツへの貢献に対して、イギリス女王から『サー』の称号を授かっているが、授与式の模様などは、ブラバムのキャラクターを余すところなく表している。人間性はふとした時に明らかになるものだ。女王から直に勲章を授与されたあと、とくに気の利いたスピーチをするでもなく、ただ一言こう口にした。
『ありがとう』
彼の名は『サー・ジャック・ブラバム』、歩いてゴールした素朴な男。3度もワールドチャンピオンになり、栄光を手にしながら、素朴さを失わず、『サー』の称号をイギリス女王から授かっても変わることはなかった。