ピーター・コリンズ(イギリス)
1931年11月 6日生〜1958年 8月 3日没
F1デビュー 1952年スイスGP
生涯戦績 32戦3勝
PP獲得数 1回
ファステストラップ 0回
チャンピオン獲得数 0回

当時のF1は、コリンズのチームメイトだった『ファンジオ』の全盛時代。ファンジオからチャンピオンシップを奪うのは至難の業だったが、他にも『スターリング・モス』という強敵もいた。しかしコリンズは、1956年、ベルギーGPを制し、その後のフランスGPも制覇。そして、最終レースとなるイタリアGPをチャンピオン獲得の可能性を残して迎えることになる。しかしファンジオが1ポイントさえとれば、タイトルが決定する状況だったことを考えれば、チャンスはほとんどなかった。しかしチャンスはチャンスだった。
そのレースでは、ファンジオのマシンがトラブルに見舞われピットインする。トラブルがなければ、ファンジオは簡単にチャンピオンシップを獲得していただろう。その後、コリンズもタイヤチェックのためピットインした。その時の様子を、ファンジオのコメントで紹介しよう。

『自分はピットで15周以上も待機する羽目になった。勝利が自分の手元から逃げて行くのをじっと見ながらね。ところが、そこにピットインしてきたコリンズが、私がピットで立ち往生しているのを見て、頼みもしないのに、”自分のマシンに乗ってフィニッシュしてくれ”、といってるじゃないか。僕は彼に腕をまわして頬にキスをしてマシンに乗りこんだんだ。』(当時のF1では、レース途中でマシンを乗りかえる事が許されていた)

これこそイギリスの誇る騎士道、自分の利益を顧みないスポーツマンシップそのものだった。

そして1958年ドイツGP。全長22qもある難コース、ニュルブルクリンクで彼のマシンはわずかにオーバースピードのままコーナーを駆け抜け、スピンし、すごい土煙を上げながらひっくり返ってしまう。彼はマシンから投げ出されてしまい、病院に運ばれた時にはすで息絶えていた。

1950年代、イギリスには騎士道精神がまだ息づいていた。コリンズは、タイトルとは縁がないままこの世を去った。1956年、コリンズは限りなくファンジオに近づいた。しかし、コリンズは王者ファンジオにチャンピオンの座を譲っている。理由は、『時代』抜きには語れない。

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