クレイ・レガッツォーニ(スイス)
1939年 9月 5日生〜 
F1デビュー 1970年オランダGP
生涯戦績 132戦5勝
PP獲得数 5回
ファステストラップ 15回
チャンピオン獲得数 0回

近年放送されて話題になったHONDAのTVコマーシャル『Do you have a HONDA?』のCMで嬉しそうにNSXを走らせていた車椅子のおじさんがこのクレイ・レッガッツォーニだ。

1966年に借り物のブラバムでF3に参戦。翌年はテクノというチームでワークスドライバーとして走り、F3での初優勝を飾る。さらにその翌年にはF3に加え、F2にも参戦しF1への階段を登っていく。

1970年シーズン途中のオランダGPで、フェラーリの補欠ドライバーとしてF1デビューを果たし、デビュー戦でいきなり4位入賞を飾る。それまでは、『速いが事故の多いドライバー』という印象だったが、ひとたびF1に乗りはじめたレガッツォーニは、あっという間にティフォシ達の心をつかむことになった。
レガッツォーニはすぐにトップ争いを演じるようになり、デビュー5戦目のイタリアGPで前年のチャンピオンであるジャッキー・スチュワートを抑えて、F1初優勝を果たし一躍ヒーローとなる。デビューイヤーはシーズン途中からの参戦にもかかわらず、シリーズランキング3位という新人らしからぬ成績を記録した。しかもそれだけにとどまらず、この年はF1と並行してF2にも参戦しており、F2ヨーロッパチャンピオンの座も獲得したのである。しかし当時のフェラーりは財政的に苦しく、レガッツォーニは1972年限りでフェラーリのシートを失うことになる。

その後は、BRM、フェラーリ、エンサイン、シャドウを経て、1979年に2ndドライバーとしてウイリアムズに加入する。当時のウイリアムズはアラン・ジョーンズとパトリック・ヘッドの力を得て、グランプリの上位を駆け上りつつあるところだった。そこにレガッツォーニが加わったのである。そしてこの年のイギリスGPで、アラン・ジョーンズがレース活動10年目のフランク・ウイリアムズに初めてのPPをもたらすと、決勝レースではレガッツォーニによってウィリアムズの初優勝が記録されることになる。
レガッツォーニは2ndドライバーとして十分以上の働きをしたが、その報いはむごかった。ウィリアムズに初優勝をもたらしたレガッツォーニがこの年限りでウィリアムズから放出されることが決まったのだ。
レガッツォーニは力の限り走り、それなりの戦績を残しながら、結局は損な役回りを押しつけられる。そうした運命に支配されたドライバーだった。

ウィリアムズを追い出されたレガッツォーニは1980年エンサインに移籍。そして第4戦アメリカ西GPで悲劇は起った。フルスロットルでストレートを駆け抜けた時、突然ブレーキが故障し、時速270kmでガードレールに激突してしまう。シャシーは折れ曲がり、彼はマシンの中に閉じ込められてしまった。命こそ奇跡的に助かったものの、レガッツォーニは両足骨折、脊髄を損傷するという重傷を負った結果、半身不随となってしまい、車椅子の生活を余儀なくされF1から引退することになってしまった。しかし持ち前の明るさとガッツで、その後、特性スロットルを装備した改造マシンでパリ−ダカール・ラリーや、ミッレ・ミリアなどのレースにも参加するなど、レースへの情熱は衰えることはなかった。

30歳でF1デビューという比較的遅咲きのドライバーだったが、あのエンツォ・フェラーりをして、『ヌボラーリ並の勇気』(※タツィオ・ヌボラーリ:エンツォが理想として生涯追い求めた真のレーサー像と言われた名ドライバー)と言わしめたファイターだった。陽気で、優しくて、力強くて、レガッツォーニのキャラクターは今日でも変わらない。

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