デイモン・ヒル(イギリス)
1960年 9月17日生〜 
F1デビュー 1992年イギリスGP
生涯戦績 115戦22勝
PP獲得数 20回
ファステストラップ 19回
チャンピオン獲得数 1回

1958年から1975年にかけて輝かしいキャリアを残し、2度のワールドチャンピオンシップを獲得した『グラハム・ヒル』は当時F1を代表する第一級のドライバーだった。そのグラハムが飛行機事故でこの世を去った時、息子デイモンはまだ15歳の少年だった。この飛行機事故では、グラハムと自身が創設したチームのメンバー全員が帰らぬ人となった。しかもこの飛行機には保険をかけておらず、残されたグラハムの妻ベティは、自宅を売り払いチームメンバーの遺族への保証金にあてた。これによりヒル家は一転して苦境に立たされた。このような状況なか、レースをするようになったデイモンはレース資金を稼ぐために、建築現場の解体作業や、バイクを使った荷物運送業務に従事する。荷物を大企業に運ぶ機会があったときには、届け先の会社と交渉し、自分を支援してくれないかと掛け合ったという。

最初デイモンはバイクに興味があり、またあまりに有名すぎた父への反発から、4輪ではなく2輪レースに出場していた。ライダーとしての才能もそこそこあったようで、'84年にはブランズハッチのローカルチャンピオンに輝いている。やがて、バイクよりは4輪の方が安全だろうという母ベティの勧めで4輪に転向し、1984年にはフォーミュラ・フォードに挑戦するようになるが、この時から資金難という苦闘がはじまっていた。ここぞというところでのスポンサーの撤退、マシンに恵まれないこともしばしばだった。偉大な父グラハムの名は、デイモンがレースをはじめる上で大変な助けになったと同時に、周囲からの過大な期待を背負うことにもなってしまった。期待に答えられなければ、父親の名前はかえって不利な材料となってしまうのだった。

そんなデイモンに転機が訪れる。1991年のウィリアムズチームとテストドライバー契約を結んだのである。
更にテストドライバーを兼任しながら、1992年には名門ブラバムチームからF1デビューも果たしたが、当時のブラバムは、チーム消滅寸前でひどく弱体化しており、予選を通過するのにも苦しむ有り様だった。実際デイモンも8戦中6戦で予選落ちを経験している。

1992年、デイモンがテストドライバーとして開発したウィリアムズのマシンは、他チームを圧倒する戦闘力を発揮した。ナイジェル・マンセルが念願のチャンピオンに輝き、チームメイトのリカルド・パトレーゼも総合2位を占めた。ところが2人のドライバーはいずれもチームとの関係がこじれ、シーズン終了後にチームを去る事態となった。チャンピオンチームのシートが突如2つも空いてしまったのだ。そこで、3度のワールドチャンピオン『アラン・プロスト』が加入。もう1つのシートには、アイルトン・セナをはじめ激しい争奪戦が繰り広げられたが、最終的には、マシンのことを詳細に知るデイモンに白羽の矢が立った。かくしてデイモンはF1のチャンピオンチームでグランプリを戦うこととなる。

1994年、前年にチャンピオンシップを獲得し引退したプロストに代わり、『アイルトン・セナ』がウィリアムズにやってきた。だが第3戦サンマリノGPでセナは壮絶な事故死を遂げる。これにより突如デイモンはF1参戦わずか21戦目にして、当時最強を誇っていたウィリアムズチームのエースドライバーになるが、セナのあとを継ぐのはあまりにも重荷だった。当時最高のマシンに乗っていたデイモンは、父親との比較以上に厳しい、天才『ミハエル・シューマッハー』との比較にさらされることになってしまった。
『父の死以来、人生で一番不幸せな時期だった』とデイモンは後に語っている。

1996年、デイモンは苦難の末ついに念願のタイトルを獲得。
デイモンがチャンピオンシップを獲得できたのも、マシンに恵まれていたからだという者もいる。確かにその通りだが、一度よく考えてほしい。過去のチャンピオン達も、皆優秀なマシンに乗ってチャンピオンシップを勝ち取ってきたのだ。だがチャンピオンを獲得したデイモンは、周囲から正当な評価を得られず、ウィリアムズを自ら出ることになってしまう。移籍先は弱小チームアロウズだった。

1997年、この弱小チームでヒルは力の限り走り、ハンガリーGPではファイナルラップでマシントラブルが起きるまでトップを快走し、あわや優勝という走りも見せた。トップチームと比べて、エンジンパワーだけでも100馬力は劣るであろうマシンでだ。

1998年にはアロウズからジョーダンチームに移籍し、ベルギーGPでジョーダンチーム創設以来、初めての優勝も飾り、その実力を証明した。優勝直後の会見で、『もうヒルは勝てないなんて言ったのは誰だっけ?』といたずらっぽく嬉しそうに言っていた。
彼は間違いなくチャンピオンにふさわしい実力の持ち主だった。そんなデイモンも1999年限りで惜しまれながら引退する。

ごく普通のイギリス人。静かで礼儀正しい実直な人間。けっして天才ではない。周囲の批判にも屈せず、努力と信念で己を世界一のドライバーへと昇華させた。厳格な父グラハムとその息子デイモンは、史上初の親子二代に渡るワールドチャンピオンとして、F1の歴史に永遠に名を刻むこととなった。

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