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1911年 6月24日生〜1995年 月 日没 | |
| F1デビュー | 1950年イギリスGP | |
| 生涯戦績 | 51戦24勝 | |
| PP獲得数 | 28回 | |
| ファステストラップ | 23回 | |
| チャンピオン獲得数 | 5回 | |
ファンジオが初めてヨーロッパのレースに挑んだのは1949年、38歳の時だった。普通なら引退を考えるような年齢だが、彼は恐るべき才能と適応性で、’51年〜’57年の間に4年連続を含む5度のチャンピオン奪取をなしとげてしまう。この間に操ったマシンはアルファロメオ、メルセデス、フェラーリ、マセラッティ・・・手当たり次第何にでも乗って、常に速かった。『チャンピオン獲得数5回』は、いまだに破られていない大記録で、『51戦24勝』という驚異的な勝率も、この先更新されることはないだろう。しかし、周囲を圧倒して勝ちつづけるチャンピオンは滅多に『必死な姿』を見せてはくれなかった。
『最も理想的なレースは、できる限り遅いラップタイムで周回し優勝することだ』
とファンジオは言っていた。
ファンジオは、よほどのことがない限り『限界』を超える必要がなかったのだろう。クラークやセナなどと同様に、どんなに追いこまれた状況でも、必要とあらば1ランク上のスピードで走れる余裕が常にあった。逆にいえば、彼らが渾身の力を振り絞って120%の走りをしたときに、モータースポーツ史上に残る素晴らしいパフォーマンスが出現するのである。
ファンジオが限界ギリギリの走りをするという、後にも先にも一回きりの場面があった。’57年のニュルブルクリンクで行われたドイツGPでの出来事で、ファンジオは前年に記録されたコースレコードを24秒も縮めてしまったのだ。いくらマシンが年々進化してるとはいえ、この時の記録は驚異的なものだった。これは、’93年ドニントンパークで奇跡とまで言われたセナの芸術的なオープニングラップに匹敵するパフォーマンスだったのである。
最後に有名なエピソードをひとつ。ファンジオは1度キューバで誘拐事件にまきこまれている。しかし、ファンジオは無事救出。誘拐犯は逮捕されたが、ファンジオが罪を問わなかったため、数年後にそのお礼として誘拐犯がファンジオを招くということがあった。
『イル・マエストロ』(名人、名手、鉄人)人々は畏敬の念を込めてそう呼んだ。誰からも愛され慕われた男は、47歳で現役を引退した後も、静かに世界を旅しながら、名士として幸せな余生をまっとうする。