ジュゼッペ・ファリーナ(イタリア)
1906年 10月30日生〜1966年 月 日没 
F1デビュー 1950年イギリスGP
生涯戦績 33戦5勝
PP獲得数 5回
ファステストラップ 6回
チャンピオン獲得数 1回

裕福な家庭に生まれたファリーナは、10歳にしてモータースポーツの魅力に取りつかれ、15歳のときには自らレースに参加するようになった。ちなみにこれは1921年。近代F1(1950年から近代F1と呼ぶ)が始まる29年前の出来事だった。
当時は現在のようにメディアが発達していなかったせいもあり、ファリーナの素顔はほとんど知られていない。独特の感覚と雰囲気を持ったドライバーだったらしいが、伝わっているのはそれだけである。

ファリーナは、いつ命を落としてもおかしくないくらいの事故を多数経験している。
あるレースでマシンを抜くときに追突し、そのドライバーを焼死させてしまったり、1938年にも自身の生死にかかわる大事故に見舞われている。1953年には、観客9人が死亡、40人以上が重軽傷を負うという、近代F1史上2番目の大惨事も引き起こしてしまった。(1番は’61年イタリアGPで観客14人が死亡した事故)この時のファリーナの行動は不可抗力と見なされ罪には問われなかった。ただ、惨劇からわずか2週間後に同じ場所でレースが開かれているということから判断すると、1950年代当時のモータースポーツや、人の生命というものに対する意識は、今日のそれとは相当違っていたことは確かなようだ。おそらくこれは、数千万人の犠牲者を出した第二次世界大戦が、まだ終わって間もなかったことも関係しているだろう。

記念すべき近代F1の第1回大会でポールポジションを獲得し、決勝でも勝利を飾り、そのシーズン最後のレース、イタリアGPでも勝利を収め、ファリーナは見事初代のF1ワールドチャンピオンの座に輝いた。

現在は、大クラッシュが起きてもドライバーが命を失うということはほとんどなくなったが、半世紀前は危険極まりない状況が続いた。素顔があまり知られていないファリーナも、その状況のなかを生き抜き、生ききったドライバーだったのである。

しかし、時として人の終わりはあまりにあっけない。
引退後の1966年、ライムで行われるフランスGPを観戦すべく愛車のロータスで出かけたが、その途中交通事故で帰らぬ人となってしまう。事故の原因は、いまとなっては知る由もない。しかし、いかにその実像がぼやけたものであれ、ジュゼッペ・ファリーナという名はこれから先も、決してF1史上から消えることはないだろう。

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