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1929年 2月17日生〜1975年11月29日没 | |
| F1デビュー | 1958年モナコGP | |
| 生涯戦績 | 176戦14勝 | |
| PP獲得数 | 13回 | |
| ファステストラップ | 回 | |
| チャンピオン獲得数 | 2回 | |
ある日、『1周いくらでレーシングカーに乗れますよ』というサーキットの広告を見た友人に誘われ、グラハムは見様見真似でレーシングカーを操縦する。走り出して2周目に突入する頃には、これが自分の進むべき道だと確信したという。
やがてロータスで働くようになったグラハムは、コーリン・チャップマンを拝み倒してマシンを運転させてもらうことに成功する。ここからグラハムのレース・キャリアが始まる。
グラハムはイギリスのBRMチームで最初のF1チャンピオンシップを獲得し、'60年代後半には再びロータスに加わる。この時グラハムのパートナーは、天才の誉れ高い『ジム・クラーク』だった。
1968年4月、クラークがホッケンハイムで開かれたF2レースで樹木に突っ込み、帰らぬ人となる。この事故で、ロータスの創設者コーリン・チャップマンは、レースから完全撤退することも考えていた。チームはクラークを失い、世間からは批判され空中分解寸前だった。そんなチームを救ったのがグラハムだった。彼はメカニックを勇気づけ、精神力で孤独な戦いを制し、この年2度目のチャンピオンを獲得する。
もしグラハムがいなかったらロータスは消滅していたに違いない。消滅していたら、その後ヨッヘン・リントやエマーソン・フィッティパルディ、あるいはマリオ・アンドレッティなどがロータスでチャンピオンを獲得することも、アイルトン・セナがロータスでドライバーとしての才能を開花させることもなかったのである。
モナコGPで通算5勝を挙げ、モナコ・マイスターと呼ばれたグラハムも、やがてレーサーとしての限界を感じ、1975年イギリスGPで引退する。そしてレーサーとしてのキャリアに終止符を打った直後、グラハムの人生のキャリアもあっけなく終わりのときを迎えることになる。
引退後、自身のレーシングチームを創設し、第2の人生を歩き始めたグラハムだったが、サーキットでのマシンテストから帰る途中、グラハムの自家用飛行機は、自身のチームメンバーを一緒に乗せたまま、自宅近くのゴルフコースで墜落し全員帰らぬ人となる。
海軍で兵役を務めたこともあり、ボートを漕ぐのが好きな人物だった(グラハムのヘルメットには、ロンドン漕艇クラブのカラーリングが施してあった。後に、息子デイモンも同じデザインを受け継ぐ)。
高潔で嘘のない人生の幕切れは、あまりにもあっけなく、悲しい出来事だった。