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1929年 4月10日生〜1959年 2月22日没 | |
| F1デビュー | 1952年ベルギーGP | |
| 生涯戦績 | 45戦3勝 | |
| PP獲得数 | 4回 | |
| ファステストラップ | 6回 | |
| チャンピオン獲得数 | 1回 | |
ホーソンは情熱的な生き方をした。ハードな生活を送り、ハードな走りをし、ハードな酒の飲み方をし、女性に対してもハードに迫った。そして自分の周りでハードな光景が展開していくのを、親しい友人たちが次々と死んでいくのを目撃した。当時のモータースポーツはまさに死と隣り合わせだった。
1949年、ホーソンは父親に小型車を買ってもらい、スピードトライアルに挑戦し、このレースを1951年まで続けた。やがてF2レースに出場する機会を得る。そしてこのF2レースで、あの偉大な『ファン・マヌエル・ファンジオ』を破ってしまう。この出来事は大反響を巻き起こし、ホーソンは一躍有名になり、1952年ついにF1デビューすることが決定する。
F1でのデビューシーズンを見事な成績で終えたホーソンに、翌年フェラーリから声が掛かる。しかし1950年代中盤は、ファンジオ全盛時代に該当する。事実ファンジオは、1954年から1957年まで連続してチャンピオンを獲得。天才ファンジオが、チャンピオンシップを目指すあらゆる者の前に立ちはだかっていた。1958年ホーソンは、ファンジオの連続チャンピオン記録を止め、ついにF1でチャンピオンシップを獲得したが、この年は親友の『ピーター・コリンズ』が事故死しており、精神的に追い込まれていた。
ホーソンのレース人生は、惨劇の連続だった。その最たるものが1955年のル・マンだろう。このレースでは、1人のドライバーと80人以上の観客が死亡。よりによってホーソンは、このモータースポーツ史上最悪の事故の中心人物だった。しかしホーソンは、この事故に関して生涯語ることはなかった。
あまりにハードな生き方をし、ハードな光景を目の当たりにしたホーソンは、このハードな生活から身を引き、F1を引退。
その後は父親の事業を継ぎ、モデルをしていたフィアンセと結婚もし、幸せな生活を送る。そんなある日、商用ができ、愛車でロンドンに向かうことになる。その道すがら、ギルフォードという街のバイパスで昔の友人に偶然出会い、急遽お遊びで公道レースをすることになった。しかしその最中にホーソンの車はコントロールを失い、木に激突。友人が駆けつけたときには、すでに息を引き取っていた。
マイク・ホーソン29歳、チャンピオンをとってわずか3ヶ月と5日の出来事だった。
生前のホーソンは、紳士たる者いかにあるべきかということに関する自分のポリシーを、頑なに曲げなかった人物だった。いかにハードな人生を送ろうが、いかに激しい恋をしようが、つねに思慮深く、紳士的で、黙して語らないというのが彼の人生哲学だった。