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1936年 6月18日生〜1992年10月 日没 | |
| F1デビュー | 1965年モナコGP | |
| 生涯戦績 | 112戦8勝 | |
| PP獲得数 | 1回 | |
| ファステストラップ | 9回 | |
| チャンピオン獲得数 | 1回 | |
ハルムは1956年にレースを始め、ニュージーランドで大成功する。1960年にはキャリアをさらに積むため渡英し、それから3年もの長きにわたり、彼はごくわずかな金で生活を続ける。このわずかな金は、名ドライバー『ジャック・ブラバム』のもとでメカニックとして働き、稼いだものだった。
1963年、ハルムはジュニア・フォーミュラに参戦し、14戦7勝を挙げる。これを見たブラバムは、彼をタスマンシリーズに連れて行くが、ここでもハルムは見事に勝利を挙げている。さらにブラバムは、自分のチームにハルムをドライバーとして加入させるため、1964年にF1(ノンタイトル戦)にも数回走らせることを決めた。その後、正式にブラバムチームのドライバーとして加入し、その才能は開花する。そして1967年には念願のF1ワールドチャンピオンを獲得する。
1968年、マクラーレンチームに移籍し、F1から引退するまで同チームに在籍した。しかしこの間、1970年には『ブルース・マクラーレン』がテスト中に死亡するという悲劇も発生している。そのテストは、本来ハルムがマシンテストを行うはずだったが、この時のハルムは、あるレース中の事故で傷を負っており、テストに参加できなかった。マクラーレンが死んだとき、ハルムはマクラーレンの家の周りをうろうろと歩きながら、
『本当なら自分がマシンを運転しているはずだったから、事故は起きるはずがなかったんだ』
と何度も何度も口にし、泣き続けたという。
1992年10月、ハルムはオーストラリアでBMWを走らせレースに出ていた。そして、まさにレースの最中に心臓発作に襲われたのだった。しかしハルムは、コース上にマシンを止めるのは危険と判断し、慌てずにマシンをコースアウトさせると、バリアの側の草地に丁寧に止めている。やがてマーシャルが到着してみると、彼はシートベルトをしたまま、すでに息を引き取っていたという。
熊のようだとハルムは言われていた。温かく、力強く、友好的でありながら、とらえどころのなさも感じる。ハルムはきっとそんな男だったのだろう。あらゆる虚飾を受けつけない力強さと、友人の死に涙する温かさはやはり熊と言われるにふさわしい。