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1947年 8月29日生〜1993年 6月 15日没 | |
| F1デビュー | 1973年モナコGP | |
| 生涯戦績 | 92戦10勝 | |
| PP獲得数 | 14回 | |
| ファステストラップ | 8回 | |
| チャンピオン獲得数 | 1回 | |
ハントは少年時代『パブリック・スクール』に通っていた。『パブリック・スクール』というのは、公立校ではなく、富も名声もある良家の子女のみが通える私立校にあたる。だが、ハント少年はモータースポーツに夢中になり、両親の猛反対にもかかわらず、レーサーを志すようになる。ハント少年は、アイスクリーム売りやスーパーマーケットの店員、さらにはバスの車掌と、とても『パブリックスクール』出身とは思えないような職を転々とし、レースの資金を稼ぎながらフォーミュラ・フォードに参戦、70年代初めにはF3にまでステップアップする。
ドライバー時代のハントは乱暴者で知られていた。あるレースでハントはデーブ・モーガンというドライバーと猛烈なバトルを繰り広げていた。だが、2人は最終コーナーで接触しリタイアしてしまう。するとハントはすかさずクルマから降りてトラックを横切り、モーガンをマシンから引きずり出していきなり殴り始めてしまうということがあった。
『ライバル達は自分の姿をミラーで見ると、すぐに道を譲った』というのがハントの得意な話しのひとつだった。
『奴らは、僕のことを頭がいかれていると思ってた』と楽しげに語ってたそうだ。
F1デビュー戦のモナコでは、残り2周でリタイアするまで6位で走っていた。デビュー戦は大成功だった。その後1975年のオランダGPでF1初優勝を飾る。1976年、マクラーレンに移籍し、チャンピオンシップをかけて、ニキ・ラウダと一騎打ちを繰り広げる。この年、第4戦スペインGPで優勝しながらも、マシンのレギュレーション違反で失格になったり、ライバルのニキ・ラウダが、ドイツGPで九死に一生を得る大クラッシュを起こしてしまったりと、ショックな出来事が多いシーズンでもあった。しかしハントは最終戦、念願のワールドチャンピオンを獲得する。
1979年中頃、ハントは『自分はいま、能力を超えた走りをしている。走るのが怖くなった。』と感じ、引退を表明する。もし、このまま走りを続けていたら、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。賢明な選択だったと思う。
性格はワイルドで、長髪にジーンズ、おまけにいつも裸足で歩き回っていたから、まるでヒッピーのようだった。しかも、マシンを走らせるとべらぼうに速かった。
そんなハントも、1993年6月15日未明、イギリス、ウィンブルドンにある自宅で永遠の眠りについた。心臓発作で亡くなる数時間前まで軽快にジョークを飛ばして話しをしていた。ハントの生涯はあまりにもあっけなく幕を閉じたのだった。