アラン・ジョーンズ(オーストラリア)
1946年11月 2日生〜 
F1デビュー 1975年スペインGP
生涯戦績 116戦12勝
PP獲得数 6回
ファステストラップ 13回
チャンピオン獲得数 1回

アラン・ジョーンズというドライバーは2つの顔を持っている。1つは非常に威厳にあふれ、思慮深く、社交的な人物としての顔であり、もう1つは、感動的なまでに傍若武人な人物としての顔である。

ある日の出来事をひとつ紹介しよう。
身なりはパリっとしたお堅い印象のダークスーツに、きちんとしたネクタイ。一見商用で訪れた切れ者のビジネスマンといった感じだった。クレジットカードを差し出し、受け取りにサインをし、ブリーフケースを閉める。一連の動作は、じつに静かで手際が良い。そして支払いを済ませ、ホテルをチェックアウトするとき、ジョーンズはフロントマンにこう囁いた。
『なあ、部屋にあるギデオンの聖書にいやらしい写真を挟んでおいたんだ。次にあの部屋を使う人が、聖書を開くとき、どんな顔をするか見たいもんだぜ』

ジョーンズは、2.2リッターエンジンを積んだ古いミニクーパーを手に入れて自分で乗りはじめ、ポケットに50ポンド入れて渡英。ロンドンにたどり着いたジョーンズは、ヨーロッパ旅行に来たオーストラリア人を相手に旅行用のバンを売って生活費を稼いだ。やがて彼は稼いだ金で2年落ちのロータスを手に入れる。いよいよ本格的なキャリアの始まりだ。1970年初頭にかけて彼はF3レースに参戦し、1975年にはついにF1デビューをも果たす。

その後ジョーンズは運命に翻弄され、『グラハム・ヒル』率いるチームで数レース走ることになる。だが、グラハムは飛行機事故で死亡、今度はジョン・サーティース率いるチームに加入することになる。やがてこのチームとも袂を分かち合い、そして『フランク・ウィリアムズ』との運命の出会いがやってくる。現在はトップチームの1つだが、当時のウィリアムズチームは、まだ規模も小さく、活動資金も乏しい弱小チームだった。当時のウィリアムズの最大目標は、成績不振によってF1から脱落しないようにすることだった。
ジョーンズのウィリアムズチームからの出だしはこんな感じだった。
『クラッシュするなよ。スペアパーツなんかそんなに買えないんだから。ポイントをとってくるだけでいい。』(フランク・ウィリアムズ)

やがて、この弱小チームはジョーンズの加入を境に、トップチームへと変貌していく。そして1980年、ジョーンズにとっても、ウィリアムズチームにとっても、初のワールドチャンピオンシップを獲得することとなる。
ジョーンズは翌年もウィリアムズチームで走ったが、ランキングでは3位止まり。結局この年限りで引退し、故郷のオーストラリアの農場で余生を過ごすことを決意する。

そういえば、あのホテルの一室に備え付けてある、ギデオンの聖書に挟んだ例の写真はどうなったのだろうか?

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