ブルース・マクラーレン(ニュージー・ランド)
1937年 8月30日生〜1970年 6月 2日没 
F1デビュー 1958年ドイツGP
生涯戦績 101戦4勝
PP獲得数 0回
ファステストラップ 3回
チャンピオン獲得数 0回

F1ファンでなくとも、『マクラーレン』という名前は1度くらい聞いたことがあるはずだ。
言うまでもないが、今日存在するマクラーレンチームのマクラーレンという名前は、創設者であるブルース・マクラーレンの名前を取ってつけられたものである。

レースの世界で生きることを決めたマクラーレンは、1958年、『ニュージーランド・グランプリ・アソシエーション』の援助を受け、イギリスに渡る。無名に近かった彼がイギリスに行くことが出来たのは、隣国のオーストラリア人ドライバー、『ジャック・ブラバム』が、地元のレースでマクラーレンに目をつけ、個人的にドライビングを教授していたためである。

その後出場したドイツでのF2レースでマクラーレンは好成績を挙げる。そのレースとは、1つのショーとして盛り上げるために、F1とF2のマシンが一緒になって走るという形態で行われた。ニュルブルクリンクは、1周22km以上もある難コースで、新米ドライバーが走るにはあまりにも危険だった。しかし彼は驚異的としか言いようのない走りを見せる。
このレースでマクラーレンはフェラーリを抜いてF2部門のトップに立ち、この部門で優勝しただけではなく、F1マシンをも含めた総合でも5位に入賞したのである。これで一躍有名になったマクラーレンは、トップドライバーとして活躍しはじめ、1959年に史上最年少の22歳104日でF1での優勝も果たすことになる。

1963年、マクラーレンは『ブルース・マクラーレン・モーターレーシング・リミテッド』という自身のチームを結成。古くは、『エマーソン・フィッティパルディ』や『ジェームス・ハント』、そして『ニキ・ラウダ』から『アラン・プロスト』、『アイルトン・セナ』へとつながるドライバーを擁することになる名門マクラーレンチームの輝かしい誕生だ。

そして、1970年6月2日に行ったマシンテストでのこと。マクラーレンは昼食前に午前の部の最後のマシンテストをするためにコースに赴き、レースさながらのペースでコースを周回する。しかし時速274kmで走行中、突然マシンのリヤ部分が破損。それが彼の最後だった。

万能の天才ブルース・マクラーレン。彼はもうこの世にいない。しかし、彼の名前を冠したマシンはいまでもサーキットを疾走している。現在のチームオーナー、ロン・デニスは言った。
『ブルース・マクラーレンの意思は今日も受け継がれており、これから先も決して絶えることはない』と。

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