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1942年 4月18日生〜1970年 9月 5日没 | |
| F1デビュー | 1964年オーストリアGP | |
| 生涯戦績 | 60戦6勝 | |
| PP獲得数 | 10回 | |
| ファステストラップ | 3回 | |
| チャンピオン獲得数 | 1回 | |
ドイツに生まれたリントは第2次世界大戦の戦火のなかで両親を失い、1943年、生後わずか1ヶ月で親戚に引き取られ、オーストリアにやってきた。『ニキ・ラウダ』、『ゲルハルト・ベルガー』など、小国でありながらオーストリア出身のドライバーは実に才能豊かだ。しかし、オーストリアでは長い間モーターレースはあまり知られていなかった。このヨッヘン・リントがF1に出てくるまでは。
無鉄砲な性格はレースぶりにも現われ、どんな不利な状況でも全力で走り、不可能を可能にする、決してあきらめることのないファイターだった。優勝かリタイアかという激しいドライビングで貪欲に勝利に向かって突き進むことから、人々はリントをタイガーと呼んだ。
1964年に母国オーストリアGPでリントはスポット参戦ながらもF1デビューを果たす。翌1965年から本格的にF1参戦を開始した。この年、『ル・マン24時間耐久レース』にも出場し、フェラーリを駆って優勝する。それまで無名だったリントは、この優勝をきっかけにスターダムへの道を歩みはじめた。
1969年にはロータスで、オーストリア人として初めてF1での優勝を収め、一躍国のヒーローとなった。
1970年シーズン、リントは絶好調!。シーズン9戦を終えた時点で、4連勝を含む5勝を挙げるというダントツの成績で、まさに’70年はリントのためのシーズンといっても過言ではなかった。だが悲しいことにオーストリアの輝ける星は一瞬のうちに流れてしまう。
絶好調のシーズンのなか迎えたイタリアGPで、予選走行中、彼は高速パラボリカコーナーでコースを大きく飛び出し、ガードレールに激しく衝突。わずか28年の人生に終止符を打った。
リントが事故死した後も、グランプリはシーズン終了まで4戦を残していた。そして1970年シーズンは終了したが、なんと驚くべきことに、この年のチャンピオンに輝いたのは、死ぬまでにポイントで他を大きく引き離していたヨッヘン・リントだった。当のリントは、自分がチャンピオンになったことを知ることなくこの世を去った。
例えば、アイルトン・セナがブラジルのヒーローであったように、ヨッヘン・リントはオーストリアの輝ける星だった。それを失った国民の嘆きはすさまじかった。ブラジル中がセナの死を悲しんだのと同じように、この時オーストリア国民は涙した。