アイルトン・セナ(ブラジル)
1960年 3月21日生〜1994年 5月 1日没 
F1デビュー 1984年ブラジルGP
生涯戦績 161戦41勝
PP獲得数 65回
ファステストラップ 19回
チャンピオン獲得数 3回

近年、カリスマという言葉が大安売りされている。本来セナのような人間を語る時のみ使われる言葉だ。まさにセナはカリスマ的存在であり、また最後までドラマチックな人間だった。今更セナの才能について語る必要はないだろう。

1994年シーズン開幕戦から連続ポール・ポジションを獲得しながら、決勝では歯車が狂い連続リタイヤに苦しんでいた。そして第3戦サンマリノGPで運命の日はやってくる。予選ではローランド・ラッツェンバーガーがクラッシュし死亡。この出来事にセナはひどく動揺しナーバスになっていた。決勝では、スタート直後に後方でクラッシュが発生し、ペースカーが導入される。ペースカーに5周先導された後レースは再開し、その2周後セナはトップ走行のままタンブレロで大クラッシュしてしまう。結局、多くの人達の願いも届かず、セナはこの世を去ってしまった。この日セナはポールポジションからスタートし、誰にも抜かれることなく人生の終焉を迎えた。

セナの亡骸は、ブラジル空軍のジェット2機に護衛されながら5月4日に帰国する。ブラジル大統領は、『3日間の服喪』をブラジル全土に発令し、そして『国葬に準じた儀式』を厳命した。これほどの特別な扱いは、もし日本なら皇族でもない限りありえないだろう。告別式会場までの沿道の見送りは、120万人を超えたいう。それは歴代大統領の国葬時の記録をいとも簡単に塗り替えてしまったという。

おそらく、セナのようなドライバーはもう2度と現われないだろう。
もし、あの事故からセナが生還できていたとしても、この年のチャンピオンはミハエル・シューマッハーのものだったかもしれない。しかしセナ亡き後、F1界の頂点に君臨している天才ミハエル・シューマッハーは、セナの生前に1度もポールポジションを獲得できなかった。彼の初ポールポジションは、セナが亡くなった2週間後のモナコGPだった。

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